第0回によせて
長岡 健
Takeru Nagaoka
カフェについて考える
もう15年も前のことです。私と加藤さんが「教室」という場を変えようというプロジェクトを行っていたとき、新しい学びの場を考えるためのメタファーとして「カフェ」という言葉が思い浮かびました。整然と並ぶ机と椅子、話す人(教師)と聞く人(学生)の間に引かれた明確な境界線、そんな特徴をもつ教室に窮屈さを感じ、実際には経験したことのない「カフェでの会話」を想像しながら、新しい教室のあり方について思いを巡らせていました。
あれから長い年月が経過し、私と加藤さんのプロジェクトは終了しましたが、「カフェ」という言葉の方は、とてもポピュラーなものになりました。例えば、私の手元に「カフェ的会話が世界を変える」という副題のビジネス書がありますが、当時は、ビジネス書のタイトルに「カフェ」という言葉が載るとは考えられませんでした。また、数年前には、いわゆる「カフェ・ブーム」が起き、東京のいたるところにカフェがオープンしました。そして、15年前には想像していただけの「カフェでの会話」も実際に体験できるようになりました。
でも、新たな言葉が身近になり、違和感なく耳に入ってくるようになると、当初その言葉がもっていた強いメッセージ性が失われてくように思えます。また、実際の姿を知ってしまうと、メタファーとしての言葉がもっている、想像を喚起するちからが弱まっていくようにも思えます。
今、「カフェ的会話」という言葉が違和感なく飛び交う現実があります。一方、その言葉が本当に意味していることを曖昧にしたままで、何とも感じない私がいます。15年前に想像していた「カフェでの会話」がどんなものだったのかを思い出そうともせず、表参道のカフェで一人、PCのキーボードを叩いている私がいます。新しいコミュニケーションの場について考えるプロジェクトを始めようと思ったとき、「カフェをめぐる曖昧さ」に慣れすぎた自分自身がいることに気づきました。
3月21日の会(第0回)では、「カフェ」をめぐる対話をしたいと思います。日常の多様な場面で使われる「カフェ的・・・」というフレーズには、一体どんな意味が込められているのでしょうか。空間のデザインを考えるためのカフェというメタファー、地域の人々がつながる場(サード・プレイス)としてのカフェ的な空間、そして、商業施設をめぐる動きとしてのカフェ・ブーム。「カフェ」から連想される多様なストーリーを、それぞれの参加者にもちよってもらい、私たちの頭の中と街の中にある「カフェをめぐる曖昧さ」に対して、ほんの少しシャープな輪郭を与えてみたいと思います。
第0回は「自画持参」の準備の会として開催するため、あらかじめご案内を差し上げた方のみの集まりとなります。第1回以降は、できるだけオープンにし、参加者を募るかたちで開きたいと考えています。

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